早稲田大学
Waseda University
ファイル:早稲田大学 ロゴ.jpg
モットー 「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」
マスコット ワセダベア
校色 臙脂
国家 日本
種類 私立大学
創立 1882年
創立者 大隈重信
学長 田中愛治
本部所在地 東京都新宿区戸塚町一丁目104番地
キャンパス 早稲田キャンパス
戸山キャンパス
西早稲田キャンパス
喜久井町キャンパス
日本橋キャンパス
東伏見キャンパス
所沢キャンパス
本庄キャンパス
北九州キャンパス
在学生 学部生:45689 名[1]
教職員 教員:2040 名[2]
別名 早大
リンク 公式サイトfacebooktwitteryoutubeインスタ
掲示板
n/早稲田大学



概要[編集]

早稲田大学(わせだだいがく、英語:Waseda University)は東京都にある私立大学。

略称は早大。

紹介[編集]

1882年に創立され、1920年慶應義塾大学と共に日本初の私立大学の認可を受けた。20世紀後半までは国内最高の私立大学というイメージがあったが、21世紀になって現在は慶應義塾大学とこれを両分している。2014年に日本の文部科学省が公募したスーパーグローバル大学事業に旧帝国大学及び慶應義塾大学とTOP学校に選定された。通常、早稲田大学と慶應義塾大学を早慶という略称で呼ばれる。たまに、慶應の体育会の人たちなどが「早慶じゃないく、慶早です。」というが、一部のコアな人を除けばどうでもいいことで、慶應生たちも普通に早慶と言う。


教旨碑文[編集]

早稲田大学は学問の独立を全うし 学問の活用を効し 模範国民を造就するを以て建学の本旨と為す

早稲田大学は学問の独立を本旨と為すを以て 之が自由討究を主とし 常に独創の研鑽に力め以て 世界の学問に裨補せん事を期す

早稲田大学は学問の活用を本旨と為すを以て 学理を学理として研究すると共に 之を実際に応用するの道を講し以て 時世の進運に資せん事を期す

早稲田大学は模範国民の造就を本旨と為すを以て 個性を尊重し 身家を発達し 国家社会を利済し 併せて広く世界に活動す可き人格を養成せん事を期す

教育理念[編集]

  • 学問の独立

「学問の独立」は、「在野精神」「反骨の精神」と結び合います。早稲田大学は、自主独立の精神を持つ近代的国民の養成を理想として、権力や時勢に左右されない、科学的な教育・研究を行ってきました。

  • 学問の活用

もちろん、近代国家をめざす日本にとって、学問は現実に活かしうるものであること、日本の近代化に貢献するものであることが求められました。 つまり「学問の活用」です。安易な実用主義ではなく「進取の精神」として、早稲田大学の大きな柱の一つになりました。

  • 模範国民の造就

庶民の教育を主眼として創設された早稲田大学。その3つめの建学の理念が 「模範国民の造就」です。グローバリゼーションが進展する現代、豊かな人間性を持った「地球市民の育成」と言い換えることができるでしょう。 建学の理念とそこから生まれ受け継がれてきた早稲田スピリットは、私たちの財産。早稲田人がひとしく身につける校風です。

歴史[編集]

  • 1882年、創立。(旧名称:東京専門学校)
  • 1882年4月1日、早稲田大学の前身である東京専門学校が設立される。
  • 1890年5月、東京専門学校が「早稲田大学」と改称される。
  • 1900年、早稲田大学が日本初の私立大学として認可される。
  • 1920年、早稲田大学が法学部、文学部、商学部、理工学部の4つの学部を持つようになる。
  • 1949年、戦後の大学制度改革により、早稲田大学が新たな教育制度の下で再編成される。
  • 1961年、早稲田大学が国際的な教育機関としての地位を確立するため、海外キャンパスを設立。
  • 2000年、早稲田大学が創立118周年を迎え、記念行事を実施。
  • 2021年、早稲田大学が新たな教育理念「早稲田ビジョン2025」を発表。

学部[編集]

  • 政治経済学部
  • 法学部
  • 文化構想学部
  • 文学部
  • 教育学部
  • 商学部
  • 基幹理工学部
  • 創造理工学部
  • 先進理工学部
  • 社会科学部
  • 人間科学部
  • スポーツ科学部
  • 国際教養学部

大学院[編集]

  • 政治学研究科
  • 経済学研究科
  • 法学研究科
  • 文学研究科
  • 商学研究科
  • 経営管理研究科
  • 基幹理工学研究科
  • 創造理工学研究科
  • 先進理工学研究科
  • 教育学研究科
  • 人間科学研究科
  • 社会科学研究科
  • スポーツ科学研究科
  • アジア太平洋研究科
  • 日本語教育研究科
  • 情報生産システム研究科
  • 法務研究科
  • ファイナンス研究科
  • 会計研究科
  • 環境・エネルギー研究科
  • 教職研究科
  • 国際コミュニケーション研究科

キャンパス[編集]

  • 早稲田キャンパス

新宿区西早稲田1-6-1

  • 戸山キャンパス

新宿区戸山1-24-1

  • 西早稲田キャンパス

新宿区大久保3-4-1

  • 喜久井町キャンパス

新宿区喜久井町17

  • 日本橋キャンパス

中央区日本橋1-4-1 日本橋一丁目ビルディング5F

  • 東伏見キャンパス

東京都西東京市東伏見3-4-1

  • 所沢キャンパス

所沢市三ケ島2-579-15

  • 本庄キャンパス

玉県本庄市西冨田1011

  • 北九州キャンパス

福岡県北九州市若松区ひびきの2-7


授業[編集]

詳しい内容は早稲田大学/授業を参考してください。

大学生活[編集]

履修[編集]

サークル[編集]

詳しい内容は早稲田大学/サークルを参考してください。

留学[編集]

住居[編集]

[編集]

バイト[編集]

早稲田大学向けの求人情報はナオモイ/早稲田大学

イベント[編集]

学園祭[編集]

出身人物[編集]

詳しい内容は早稲田大学/出身人物を参考してください。

バズと炎上[編集]

  • 早稲田大学の炎上ニュース

早稲田大学の炎上ニュースの中で大事なものは、DJ松永が早稲田祭で「スーパーフリー事件」をネタにした発言が物議を醸し、ファンから厳しい声が上がったことと、その後DJ松永が謝罪コメントを発表したことである。さらに、早稲田大学の商学部では、オンデマンド授業の受講者が複数の授業動画を同時に視聴したことが不正行為として認定され、100人ほどの単位が不認定されたことや、吉野家の常務取締役が早稲田大学で行われた社会人向けマーケティング講座で不適切な発言をしたことなどが挙げられる。

余談[編集]

  • アルベルト・アインシュタインがノーベル賞受賞後、翌年の1922年に日本に訪問した際、早稲田大学で講演した。1937年にヘレン・ケラー、1972年にユリ・ガガリン、1964年にジョンFケネディ、1993年にビル・クリントン大統領、1994年にキム・ヨンサム大統領、1995年にネルソン・マンデラ大統領が訪問して演説した。1998年には江沢民元中国国家主席、2005年にはマイクロソフト創業主ビル・ゲイツ、2008年にも胡錦濤当時の中国国家主席、2010年には潘基文国連事務総長、2017年にはTwitter創業主ジャック・ドーシーが訪れた。
  • アジア各国に早稲田XXXという日本語スクールまたは日本留学院が活躍しているが、早稲田大学とは全く関連がない。日本国内にも早稲田名が入った学園が多数存在する。
  • eduroam協力校であるため、国内外のeduroam所属の大学生の場合、Wi-Fiサービスを利用できる。
  • 学部基準で年間学費は文科系列120万円台、理科系列170~180万円台だ。人間科学部、スポーツ科学部、国際教養学部は160万円台~170万円台である。大学院は門と基準で約年150万円ほど。
  • 早稲田大学は総合大学だが医学部、そして芸術大学がない。大学側でも着実に医学部を作ろうとする努力をしてきたが、様々な事情で意志を成し遂げられなかった。常呂沢キャンパスの人間科学部は医学部を設立しようとしたが失敗し、その跡となっている。2000年代後半には近隣の「東京女子医科大学」と協力して共同研究施設「TWIns」を設立し、その後東京女子医科大学を買収しようという噂もあった。このような噂のせいか、二つの大学間の協力関係は壊れており、現在TWInsは早稲田大学単独で運営されている。この施設は新宿東京韓国学校のすぐ後ろに位置している。
  • 学校に在学生で構成された交響楽団がある。ホームページはもちろん早稲田内に音楽大学がないため、団員はみんな非専攻アマチュアだが、1970年代からプロ楽団たちも頑張るストラヴィンスキーの春の祭典やショースタコビーチの交響曲第13番のような難曲を舞台に上げ、1978年にはヘルベルト音楽財団が主催した世界青少年管弦楽団コンテストに参加して優勝するなど、存在感を誇示している。さらに3年あるいは4年ごとに1回ずつヨーロッパ巡回公演もしており、1986年と2009年、2012年にはベルリンのフィルハーモニーで開催した公演の実況でCDも出したことがある。2013年には創団100周年を迎え、記念音楽会が開催され、CD、DVD、ステッカー、はがきなどの商品が発売された。
  • 日本のSF作家の押川春浪以来、アニメ、漫画、ゲーム業界に早稲田大学出身が多いが、1976年宇宙戦艦ヤマトブームをきっかけに設立されたアニメサークルが着実なノウハウと資料蓄積に多くの人材を排出した。



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